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[Calendar/When/Exe/暦説明/本編/ギリシアとローマ起源/古代ギリシア風の暦] (前:ユリウス暦|次:補足) (English)

古代ギリシア風の暦

ギリシア全般

greek.rsc の古代ギリシア風の暦は文献[13]に従っています。この暦はアルゴ リズムとして見ると、(Tai)暦と非常によく似ています。年初は夏至の直後 (同じ日であってもかまわない)の新月の初見で、そうなるように閏6月を置きます。

古くは閏12月をはじめ他の月に置かれることも多かったが次第に固定されたとのこと。 偶数月が大、奇数月が小ですが、日数調整のため5月を大の月とすることがあります。 暦法のパラメータは、下記のようになるそうです。

日数年数月数元期
8年3閏法2923.5899不明
メトン法6940.019235432BC.06.27 = 12月13日
カリポス法27759.076940330BC.06.28+2 = 1月 1日(?)
ヒッパルコス法111035.03043760実施されず

残念ながら、この暦は「幻の暦」のようです。文献[51],[52]などを見ると 小の月であるはずの月が実際には大の月である例がたくさん出てきます。

アテネ

アテネの暦は Conciliar Year と Festival Year からなりますが、 太陰太陽暦である Festival Year が平年(12か月)か閏年(13か月)かに関わらず、Conciliar Year は各年ごと にほぼ同じ長さの月(prytany)に分割される(つまり平年と閏年では 1 prytanyの日数が 異なる)ので、Conciliar Year が Festival Year に同期して年初が共通になった 346/5BC(346BCの夏に始まり345BCの夏に終わる年をこう書くことにします。以下も同様です)

以後の期間では、これらのYear の月日がともに記録されている碑文をチェックして、 その碑文の年が閏年か否かを推定することができます。文献[52]でのアテネの暦日再現 の跡をたどると以下のようになります。

  ・同じ著者のそれ以前の仕事から引用、導出の根拠は詳細不明
  432/1BC ~ 410/9BC Festival Year は太陰太陽暦
                     Conciliar Year は太陽暦(10分割)、両者は非同期
  409/8BC ~ 404/3BC Conciliar Year が Festival Year に同期(10分割)
  403/2BC ~ 347/6BC ?
  ・201/0BC までは主に碑文などの分析による
  346/5BC ~ 308/7BC Conciliar Year が Festival Year に同期(10分割)
  307/6BC ~ 224/3BC Conciliar Year が Festival Year に同期(12分割)
  223/2BC ~ 201/0BC Conciliar Year が Festival Year に同期(13分割)
  ・閏年の判定は主にコインの刻印による
  200/9BC ~  81/0BC Conciliar Year が Festival Year に同期(11分割)

そして、346/5BC ~ 81/0BC の期間の Festival Year の平閏、archon を務め た人物の名前などが一覧表になっています(穴が多すぎて暦日の再現というレベ ルのものとは言えない)。この一覧表では 171/0BC と 170/69BC が連続して閏 年になっていることが注目されます。この不規則を補正するため、その後少なく とも 4年間は閏年が置かれませんでした。

月の大小は Festival Year の月日と Conciliar Year の 月(pritany)日の比 較により確定するケースもありますが、多くは現代天文学で推定した月の初見の 計算値に依っているようで精度には問題が多そうです。また、μετ’εικα δαS(Sはσの異体字のつもり)がついた日付を満月から順方向に数えてい ますが、月末から逆方向に数えるべきであるとの証拠が出てきて、Meritt 自身 も文献[52]出版後の1964年に意見を撤回したとのことです(文献[51]pp.9)。

古代ギリシアの時代に七曜が普及していたら暦日の確定も、より簡単だったで しょうが現実はそうもいきません。精度の高い再現は無理なのでしょうか。