jirin.rsc の時輪暦はチベットで行われている暦法で、インド系の太陰太陽暦 の一種です[41]-[43]。
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閏月の挿入は平均黄経で行い、重日(これは文献[41]の用語-余日と同義) の挿入及び欠日の削除は視黄経によります。重日を区別するため、前の方の日付 には'-'を付けるようにしました(白分、黒分の別とは意味が異なります)。
閏月の挿入を平均黄経で行う点、黒分がない点などは中国的といえます(china.doc 及びインドの伝統的な暦の項もご覧ください)。
パラメータは作り込んであるため、「体系派」と「作用派」の切り分けしかで きませんが、紀元の設定、閏月の配置は、ゲタのはかせ方でカスタマイズできま す。時輪暦ではAD1027年丁卯(文献[12]にふれられている Turkic-Mongolian calendarの元となったモンゴルの暦もこの年が紀元という)を第1周期(第1ラ プチュン)のはじめとする干支周期番号と干支で年を示しますが、本データのデ フォルトではそのまま西暦を用いています(ちなみに第17ラプチュンのはじめは AD1987年です)。文献[41]の時輪暦の計算上の元期はちょうど800年後のAD1827 年です。カスタマイズ時は、このAD1827年を何年と表示するかを指定するように なっています。
閏月は、文献[42]の表と一致するようにしてみました。また、重日・欠日は、 文献[27],[42],[44]の情報すべてが「体系派」の方に一致するので 「体系派」をデフォルトにしました。中国四川省で発行されたAD1989年の暦とインド で発行されたダライ・ラマ監修と思われるAD1994年の暦を入手しましたが、何れも 「体系派」のパターンに一致しています。
文献[41]では、箕宿月の次を牛宿月としています。二十七宿には牛宿はなく、 インド暦では箕宿月(Asadha)の次は女宿月(Sravana)になるのが普通ですが、 ここでは文献[41]に従い、牛宿月(Abhijit)としておきます。
(注)文献[41]の用語の文献[27],[42]による解釈 体系派 トゥプツィー 元期は異なるが文献[43]の『ケーパ・ガチェー』(*)ともよくパラ メータが一致 作用派 チェーツィー 五要素 パンチャーンガ 定日 太陽の視黄経 半定曜 ティティの終了ヴァーラ(=曜日)時刻 定曜 ティティの終了ヴァーラ(=曜日)時刻に日の出時刻の補正をしたもの 作用 カラナ | 月宿 ナクシャトラ |-- サポートせず 会合 ヨーガ | (*)“学者たちを喜ばせる”というほどの意味 プトゥン Bu ston (AD1290-1364) の AD1326年の著作 (何でチベット語はこんなに綴と発音がかけ離れてるんでしょうね)